アーティスト・イン・レジデンス(3):
文化の継承とAIR、サスティナビリティへの視点
文: 日沼禎子
ロンドンでのモラトリアム期間を終えた私は、帰国後、アトリエ出版社に入社。編集者、兼、社内経理事務として5年間勤務し、紙媒体の流通の仕組みやアートシーンを俯瞰的に観察する経験を得た。その当時、日本では脱美術館、アーティスト・イニシアティヴというオルタナティヴな動き [*1] が活発になっていたが、AIRはそうした新たなムーブメントの中にあり、茨城県守谷市における「アーカス構想パイロット事業」 [*2] (後の「アーカスプロジェクト」)をはじめとし、アート主導というよりは、むしろ行政主導による地域創生の施作として展開されていく。そうした新しいアートサイトが動き始める中で、自分自身が主体的に関わることのできる「現場」を求める気持ちが強まっていった。そして、アーティスト土屋公雄氏 [*3] の紹介を受け、故・門田けい子氏 [*4] の下、AIRの現場、マネジメントのいろはを学びはじめることとなる。それは、私にとって、自分の人生の分岐点でもあり、大きな成長を与えてくれたかけがえのない出会いとなったのである。
[*1] 80年代に「佐賀町エキジビットスペース(1983-2000)」を代表とするオルタナティヴスペースが登場。90年代にはヴェニスビエンナーレやドクメンタなどの国際芸術祭が日本のアートシーンへの影響を与えられることにより、既存のスペースや価値を逸脱しようとする機運が高まっていく。青山、神宮前周辺の各所をフィールドにした「水の波紋 ’95」(ワタリウム企画)は、屋外の公共空間やオフィス、カフェなどの日常の場所へと介入したアート・プロジェクトとして大きな反響を呼び、アートプロジェクトの先駆けとしてその後のアートシーンへ大きな影響を与えた。[*2] 1994年、2名のアーティストを短期招へいし、プレ事業を実施。1995年、5年間の試行事業としてアーティスト・イン・レジデンス・プログラムを核とした「アーカス構想パイロット事業」開始。 2000年、パイロット事業の成果を踏まえ「アーカスプロジェクト」として本格展開を開始。
[*3] 連載2回目を参照のこと。
[*4] 兵庫県淡路島の長沢アートパーク(NAP)ディレクターとして1997年から2009年の13年に渡る水彩多色摺り木版画制作プログラム並びに2011年から始まった国際木版画ラボ(MI-LAB)での木版画の後継者を育成した。2017年逝去。
AIRとは何かを語るためには、門田けい子氏の存在を忘れてはならない。門田氏は、パートナーの佐藤靖之氏とともに立ち上げた「産業人文学研究所」の活動として、日本独自の伝統技法である水彩多色摺り木版 [*5] の海外普及を目的に、1994-1997年、兵庫県津名町(現:淡路市)からの助成によるオープン・ワークショップを実施。その後1997年には受託事業「長沢アートパーク:アーティスト・イン・レジデンス 水彩多色摺り木版制作研修プログラム(NAP)」[*6] へ発展し、門田氏はディレクターとして企画・運営に携わる。NAPでは国内外から公募により招へいされたアーティストが長沢地区の古民家に滞在し、木版画の職人(摺師、彫師)から技術指導を受けるほか、版画の媒体となる和紙の紙漉き体験を経て、各自のオリジナル木版画を制作する。いわば「伝統と現代のハイブリッド」 [*7] ともいうべき、魅力ある作品の数々が生み出されるのである。AIR滞在中は制作研修の他、地域との交流、成果発表を合わせて実施し、住民とアーティスト、あるいはアーティスト同士の異文化理解の場としても役割も果たしている。参加アーティストは、大学教員や版画工房での指導的立場にある者も多く、その経験を自国に持ち帰り、木版画の技法を伝播する役割を担うことにもなる。また、滞在アーティスト同士の交流はプログラム終了後も継続され、世界中に広がったNAPを通じた国際ネットワークは、2011年に「国際木版画会議第1回会議(京都・淡路)」へと発展する [*8] 。3年に1度開催される会議では、版画家、学術機関、大学、研究者や版画用品メーカーが一堂に会し、木版画に関わる新たな機会の創出をめざし、世界各国での様々な木版画に関する実践や研究、現代の新しい取り組みまで幅広い視点で議論する貴重な機会となっている。
[*5] 浮世絵に代表される版画技法。水彩多色摺り木版画は、まず「絵師」による原画が描かれ、原画をもとに版木を作る「彫師」、紙に転写する「摺師」など、各職人たちが分担して制作する。[*6] 2011年活動終了。
[*7] 当時の門田氏の言葉より。
[*8] 同会議は2011年の第1回を京都・淡路での開催後、第2回東京(2014)、第3回ハワイ(2017)で開催。第4回奈良(2021)の各地で開催された。
なぜ、門田氏は 木版画の海外普及を目指したのか。その理由について、筆者の記憶を辿り、記してみたい。かつて門田氏は、手漉き和紙などのペーパークラフトを扱うセレクトショップを経営していた。仕入れのために赴いた紙漉き工房で、冬の凍てつく寒さの中、地元のお婆さんたちが、冷たい水の中から一枚一枚、紙を漉き出す姿を見た。材料の楮(こうぞ)の収穫からはじまる原料づくり、最後の紙漉きに至るまで、幾重にも渡るそのひとつひとつが、長い時間をかけて人の手によって行なわれている。こうした伝統的なものづくりの現場に触れたことで、丁寧に作られた和紙がランチョンマットなどの消耗品として扱われることに疑問を持つようになる。優れた日本の手仕事の文化を伝え、さらには手漉き和紙そのものを最大限に活かせる方法とは何か。そのあり方を模索する中で門田氏が出会ったものが、浮世絵の技法である水彩多色摺り木版であった。水彩多色摺り木版は、絵師、彫師、刷師の分業で行われるが、伝統的なものづくりの現場が同様に抱える、担い手不足による技術の継承への課題があった。また、木版画制作に必要なバレン、刷毛などの道具や素材においてもその課題は同様であり、作り手や需要の減少により、入手が困難になることが懸念されていた。日本で発達した水性木版画は、文字通り水彩絵の具を使用することから、他の版画で使用される油性インクに比べはるかに環境に優しく、また、使用する材料や道具も1000年以上前から、修復や再利用を前提としており、いわば、今日的なサスティナビリティの考えに基づいている。こうした優れた日本の伝統文化、ものづくりの技術、価値を広く国内外に伝え、次世代の担い手をつくることを標榜し、1994年より木版画の職人と現代アーティストとのオープン・ワークショップへ展開していったのである。
オープンワークショップからAIRへの発展に対しても人文学的視点、今日的なサスティナビリティへの思考性が背景にある。80-90年代にかけて急激に進む中山間地域の過疎化への対策を各自治体が取り組む中、AIRによる古民家の活用を提案することは、NAPのプログラムの重要な点であった。資源の再利用のみならず、日本の「食」、「住」、そして「技」の文化に没入できる経験は、海外のアーティストにとって、その後の人生への大きな影響を与える特別な時間となり、受け入れる地域にとっては、足元にある優れた文化的価値の再発見の機会ともなるのである。伝統と現代、西洋と東洋とが出会い、その経験、技術、新たな表現がレジデンスアーティストを通して世界に広がり、木版画に取り組む人々が増加することによる道具、素材の需要をつくり、ものづくりに関わる人材の確保・育成にもつながるのである。いわば、AIRを通した「エコシステム」の実現を目指したといえる。
NAPは京都・淡路での国際会議が開催された2011年に同地での活動を終了。その後河口湖に拠点を移し「国際木版画ラボ/河口湖アーティスト・イン・レジデンス」を開設。2017年に門田氏がご逝去された後も、その意志と功績は引き継がれ、現在もさまざまなプロジェクトが国内外で発展を遂げている。門田氏の情熱によって生まれた諸活動は、当時の多くのAIR運営者をエンパワーメントした [*9] 。その中の一人として、その出会いに感謝し、そのあたたかな笑顔を思い出しながら、その意志のひとかけらでも引き継ぎ、活動を続けていきたいと思っている。(次回へ続く)
[*9] 国内外のAIRネットワーキング活動にも専念されており、その内容についてはこの後の連載の中で改めて紹介する。『アーティスト・イン・レジデンス(1): 自由と安全、多様性を担保し、アーティストをインスパイアする場』
『アーティスト・イン・レジデンス(2): AIR〜場との出会い、対話がもたらす唯一無二の表現。異文化への理解と敬意』
『アーティスト・イン・レジデンス(4): 世界を眺め漂うパイロットの目になる』
『アーティスト・イン・レジデンス(5): 震災とAIR、陸前高田AIR(1)』
『アーティスト・イン・レジデンス(6): 震災とAIR、陸前高田AIR(2)』
『アーティスト・イン・レジデンス(7): 世界とつながるネットワーク、そして未来につなぐAIRのあり方』
日沼禎子(ひぬま・ていこ)
女子美術大学教授、AIRネットワーク準備会事務局長、ときわミュージアムアートディレクター。1999年から国際芸術センター青森設立準備室、2011年まで同学芸員を務め、アーティスト・イン・レジデンスを中心としたアーティスト支援、プロジェクト、展覧会を多数企画、運営する。さいたまトリエンナーレ2016プロジェクトディレクター、陸前高田AIRプログラムディレクター他を歴任。